高梁市成羽美術館で開催のタグチアートコレクション展
2025年11月11日
佐藤恭子 (ニューヨーク)

日本を代表する現代アートコレクション
タグチアートコレクションは、日本を代表する現代アートのコレクションである。その約750点におよぶ作品群の中から39点を紹介する展覧会「タグチアートコレクション Vol. II:世界の道しるべ ―ヤバイ現代美術 #もっとタグコレ」が、2025年9月20日より高梁市成羽美術館(岡山県)で開催されている。成羽美術館での同コレクション展は、2023年に続き今回が2回目となる。
本コレクションの特徴は、1980年代以降にアメリカ、ヨーロッパ、中南米、アジア、アフリカなど世界各地で制作された現代美術作品を幅広く収集している点にある。(1)立体、写真、映像、インスタレーションなど、多様な素材と表現形式を対象としており、時代や地域を超えた現代美術の動向を見渡すことができる。
初期の収集は創設者である田口弘氏(1937-)が中心となって進められ、特にアメリカ・ポップアートやその流れを汲む国際的な作品群に重点が置かれていた。その後、娘の美和氏が加わることで、コレクションの視点はさらに広がり、貧困、差別、ジェンダー、暴力など、現代社会が抱える課題をテーマとするアートへの関心が高まっていった。(2)
世界には数多くの優れた個人アートコレクションが存在するが、タグチアートコレクションの本質的な魅力は、「作品をより多くの人々と共有したい」という公共性に根ざした理念にある。今回の展覧会は、そうした理念こそが現代におけるアートコレクションの新たな価値を照らし出すものである。
成羽美術館は、画家の児島虎次郎(1881–1929)を顕彰して創設されたが、その100年前の美術収集活動と、現代における田口弘・美和両氏の取り組みは、時代を超えて共鳴する。公のために美術を収集し、人々へと開いていくというその精神は、日本のアートシーンにおける「公共性の継承」として、今、改めて強く浮かび上がっている。


児島虎次郎と田口弘が目指した公のための美術
高梁市成羽美術館は、岡山県高梁市出身の印象派の画家、児島虎次郎を顕彰して、1953年に岡山県で初めての町立美術館として創設された。
児島虎次郎は、近代日本洋画の発展に大きく寄与した画家であると同時に、日本美術界における先駆的なコレクターでもあった。彼は3度ヨーロッパに留学し、その間、岡山県倉敷市の実業家・大原孫三郎(1880–1943)の支援を受け、当時の西洋美術の最前線で数々の名作を買い集めて日本へと持ち帰った。これらの作品は、のちに大原美術館(岡山県倉敷市)のコレクションの礎となり、日本初の私立西洋美術館としての方向性を決定づけた。
なかでも、エル・グレコ《受胎告知》(1590–1603)、クロード・モネ《睡蓮》(1906年頃)、そして幅11メートルにおよぶレオン・フレデリック《万有は死に帰す、されど神の愛は万有をして蘇らしめん》(1893–1918)は、その代表的な作品である。

児島の先見の明は、最初のヨーロッパ訪問の時点からすでに明らかであった。彼は単に優れた絵画を収集したのではなく、日本の芸術界を世界水準に育てるという明確なビジョンをもって行動していたのである。
1930年(昭和5年)に設立された我が国最初の近代美術館である大原美術館のコレクション第1号となった作品は、アマン・ジャンの「髪」である。明治45年、最初の留学中に寅次郎は孫三郎に宛てた書簡のなかで、西洋美術に直接触れることが困難だった当時の日本の芸術界のため、また、日本の洋画界の参考品としてこの作品の購入を願い出ており、その時すでに美術館設立への構想の方ががあったと考えられる。(3)
一方、田口弘(1937年生まれ)は、1963年にFA・金型部品の専門商社「ミスミ」を創業した実業家であり、現代アートの熱心なコレクターでもある。田口氏が最初に購入した作品は、キース・ヘリングの《グローイングI》(1987年)だった。Webマガジン「Museo Square」のインタビューで、当時の心境を次のように語っている。
「美術と言えばルネサンス美術や印象派のイメージでした。しかし、ある時とあるブティックでキース・へリングのポスターを偶然にみかけ、「なんだこれは!」と衝撃を受けました。
ミスミが東陽町に新社屋を建てた時期だったこともあり、皆にみてもらいたい。買って飾ろう。「美術館の中で仕事してる感じにしてやろう!」と思ったんです。」(4)
このエピソードからも分かるように、田口氏の作品収集の原点は、個人的な所有欲ではなく、「より多くの人に見てもらう」という公共性にあった。
児島虎次郎は「日本の芸術界のために」収集を行い、田口は「みんなと共有するため」に作品を手に入れた。どちらも作品を単に自分のものにするのではなく、公共の財産として開くという精神が根底にあったのである。

キュレーションの力学
今回の展覧会は、澤原一志館長が率いるキュレーターのチームによって構成されており、成羽美術館の理念、日本美術の文脈、安藤忠雄建築との調和、そして世界の現代アートの潮流が有機的に組み込まれた秀逸な展示となっている。
展覧会のハイライトのひとつは、児島虎次郎が1920年にクロード・モネを訪れ、直接《睡蓮》を2万フランで購入した逸話に呼応する作品だ。(5) ニューヨークにスタジオを構えるジャナイナ・チェッペ(1973-、ブラジル)による幅950インチ(24メートル)の大作《新たな霧で大地を覆う》は、2020年から2021年にかけてフランス・オランジュリー美術館でモネの《睡蓮》と対峙するプログラムに参加した経験にインスパイアされ、2024年に描いた大作である。過去と現在、ヨーロッパと日本、そして世界のアートをつなぐ象徴的な一作といえる。

展覧会で最初に来場者を迎えるのは、日本の現代アートだ。奈良美智、杉戸洋、加藤泉、田名網敬一、澤田朋子、会田誠といった個性豊かな作家たちの作品が並ぶ。中でも会田誠の《灰色の山》(2011)は、倒れた灰色のサラリーマンたちが折り重なり山のようになった大作で、現代日本社会の構造や心象風景を象徴的に映し出している。
さらに、展示空間では彫刻作品とローレンス・ウィナーのテキスト作品が安藤忠雄設計の建築と対話している。ニューヨークのメトロポリタン美術館日本ギャラリーのアイコンともなっている名和晃平の彫刻《PixCell-Deer#51》は、2000年にモネのジヴェルニーの庭から移植された睡蓮の浮かぶ「静水の庭」の前に置かれ、体中の球体に周りを投影しつつ私たちを見つめるのである。

ローレンス・ウィナー(1942-2021、アメリカ)のテキスト作品は、1階ロビーの大型コンクリート壁に設置された。英語と日本語が使われた《ここにいまは そこにいまは そして どこかにいまは》が聳え、岡山の山中にニューヨークのエネルギーを呼び込んでいる。
そして、昨今ではメインストリームになったアフリカ系現代アートも紹介されている。ザネーレ・ムホリ(1972- 南アフリカ)、セイドゥ・ケイタ(1921-2001、マリ)、インカ・ショニバレCBE RA (1962- イギリス)など、多様な文化的背景をもつ作家たちの作品を通して、来場者は世界の現代アート最前線に触れることができる。

芸術の公共性
児島虎次郎は、100年前にヨーロッパで作品を買い集め、日本の芸術界に扉を開き、田口弘と美和は、現代により多くの人々に見せるために継続的に収集し、それを活発に公開する。
二つの世代、時代を超えた収集の営みには共通する理念がある。それは、作品を単に個人の所有物として閉じ込めるのではなく、公共のものとして人々と分かち合うことだ。優れた芸術作品は、創り手から離れ、独自の命を持ち、見る者の心を通して語られ続けることで価値を増していく。
本展は、成羽美術館という空間を舞台に、児島の先見の明とタグチコレクションの現代性、そして世界のアートが一堂に交わる場となった。来場者は、目の前の作品だけでなく、その背後にある公共性の精神、時代を超えた芸術の命の連鎖を感じることができるだろう。
芸術作品は、特定の人だけのものではない。私たち一人ひとりがそれを受け取り、語り、次世代に繋ぐことで、初めてその真価が生き続ける。児島と田口が示した道は、私たちにとって、大切な指針である。

イーグル工業・スペシャル
「タグチアートコレクション Vol. II:世界の道しるべーーヤバイ現代美術 #もっとタグコレ」
2025年9月20日(土)ー2026年1月18日(日)
高梁市成羽美術館 岡山県高梁市成羽町下原1068−3
https://nariwa-museum.jp/
References
(1) https://mmag.pref.gunma.jp/exhibition/exhibition-649
(2) https://bijutsutecho.com/magazine/news/report/26702
(3) 「児島虎次郎と高梁市成羽美術館」高梁市成羽美術館編、岡山文庫、2019年、p.27
(4) https://muuseo.com/square/articles/980
(5) 「児島虎次郎と高梁市成羽美術館」高梁市成羽美術館編、岡山文庫、2019年、p.28